大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)1729号 判決

原告

白木和子

右訴訟代理人弁護士

中村勝治

深井潔

右訴訟復代理人弁護士

脊戸孝三

被告

医療法人

木津川厚生会

右代表者理事

三谷和合

被告

三谷和合

右両名訴訟代理人弁護士

小林保夫

前川信夫

岩田研二郎

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告に対し、金三〇〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一〇月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告は亡白木龍也(以下、白木という。)の妻である。

(二)  被告三谷和合(以下、被告三谷という。)は、被告医療法人木津川更生会(以下、被告法人という。)の理事長であり、被告法人がその肩書住所地において開設した多賀屋病院という名称の病院(以下、被告病院という。)などを経営している。〈以下、事実省略〉

理由

一原告が白木の妻であることは当事者間に争いがない。また被告三谷本人尋問の結果と弁論の全趣旨によると、被告三谷は被告法人の代表者(理事長)であり、かつ被告病院の医院長であつて、自らも被告病院に医師として勤務する者であることが認められ、これに反する証拠はない。

二昭和五五年一二月三日の精密検査時までの被告病院における白木の診療経過

請求原因2の事実のうち、白木が元来病弱であつたこと、白木が被告病院において定期的に診察を受けてきたこと、被告三谷が漢方医学の分野で著名であることは、当事者間に争いがなく、これに〈証拠〉を総合すると、次の各事実を認めることができる。

白木は、身長に比較して非常に体重が少ないいわゆる無力性体質であつて、もともと胃が弱く、かつ貧血気味であつたところ、かねて漢方医学界で著名であつた被告三谷を聞き知り、漢方薬による治療ないしは体質改善を期待して、昭和五三年一一月二二日、初めて被告病院を訪れて診察を受けた。白木の症状は、当初は強い貧血状態、食欲不振、上腹部のもたれ、圧迫等が主たるものであつたため、被告病院では慢性胃炎と診断したが、昭和五四年一一月頃には胃炎の症状は一応軽快したものの、手足のしびれ、冷え、のぼせ感等の自律神経失調症的症状を訴えるようになり、被告病院では末梢循環不全の診断を下した。そして、白木は、昭和五三年一一月の初診以降、月約一回の割合で定期的に被告病院に通院して診察及び採血、心電図等による検査を受け、慢性疾患指導としてその時々の症状に即した漢方薬の調剤処方の指示を受けていたが、その他に月に一、二回程度、漢方薬の処方箋を受け取りにのみ、被告病院に赴いた。昭和五五年一二月三日の被告病院における精密検査時までの主な症状傾向を拾い出すと、まず、白木は、昭和五五年二月九日には肋骨弓間の圧迫感や寒い時の腹痛等の症状を訴え、また初診の頃は、赤血球数が一立方ミリメートル当たり三五〇万個未満(以下、赤血球数はすべて血液一立方ミリメートル当たりの数値で示す。)というかなり強い貧血状態にあつたが、昭和五五年二月二三日の時点では赤血球数四五六万個と貧血状態はかなり改善され(乙第一号証添付の血液学的検査報告書には正常値は四四〇万ないし五六〇万個である旨記載されているが、被告三谷本人尋問の結果によると、四〇〇万個以上あれば大体正常とみてよいことが認められる。)、同年四月三〇日には浮腫感は減少し、かつ赤血球数は四三三万個と同年二月時点に比べると若干減少したものの、貧血状態は改善傾向にあり、ただ若干のいらいら感と肝臓の機能低下が認められた。同年五月三〇日には肩凝り、のぼせ、しびれといつた不定愁訴があり、かつ腹直筋に緊張状態がみられた。同年八月四日には右肩凝りがあるほかは自覚症状は改善されたが、赤血球数は四三一万個であり、さらに同年九月三日には浮腫感はほとんどなくなつた一方で、赤血球数が四一一万個と再び減少傾向を示した。そして、同年一〇月一日の時点では、五日前に右前下胸部痛と嘔気があつたとの愁訴があつたが、同月一七日にはかような症状の訴えがなくなつたため、被告三谷は一過性のものと考えた。

以上のとおり認められ、これを覆すに足る証拠はない。

三被告病院における精密検査の実施及びその内容

請求原因3のうち、白木が被告病院に胃の精密検査を申し込んだ事実並びに同4の、白木が昭和五五年一二月三日に被告病院において胃のレントゲン撮影を受けた事実、及び被告三谷が右撮影結果から慢性胃炎と診断して白木に対し食事療法の指導や漢方薬の投与をした事実は、いずれも当事者間に争いがない。

右各争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、次の各事実を認めることができる。

1  白木は昭和五五年一〇月一九日から同月二一日にかけて近畿中央病院に短期入院して総合検診(いわゆる人間ドック)を受診したところ、背臥位で二重造影像法によつて撮影したレントゲン写真の中で白木の胃角部に潰瘍(ニッシェ)が認められたため精密検査が必要であるとの回答書が約一週間後に白木のもとへ送付された。そこで白木は、同年一一月七日にかかりつけの被告病院を訪ね、被告三谷に右近畿中央病院での検査結果を告げ、胃の精密検査を受けたい旨申し出たが、近畿中央病院で撮影したレントゲン写真ないしそのフィルムは被告病院に持参しなかつた。

2  白木から胃の精検を依頼された被告三谷は、一〇年間被告病院に放射線診断専門医として勤務している田中學に、白木の胃のレントゲン透視及びレントゲンフィルム撮影を指示した。

田中學医師は、昭和五五年一二月三日に、白木の胃のレントゲン透視及びフィルム撮影を実施したが、その方法としては、まず白木の胃の全体を漏れなく透視し、特に病変の存在が指摘されていた胃角部については念入りに検査を行つた。次にレントゲン透視を行いつつ重要な箇所を押えて合計七枚九曝射(二枚分割撮影)のレントゲンフィルム撮影を行つたが、そのうち五枚六曝射(一枚分割撮影)が胃角部を撮影したものであり、その胃角部のレントゲンフィルムの内訳は次のとおりであつた。

(一)  二重造影像法により背臥位で胃の後壁の状態を撮影したもの(検乙第二、第三及び第五号証、なお第五号証は二曝射の分割撮影)

(二)  充盈像法により立位正面から大彎・小彎部分のバリウムの重量と胃の筋肉の緊張との均衡状態を撮影したもの(検乙第七号証)

(三)  立位斜位(左半身をベッドから軽く浮かせた状態)で(二)と同様の撮影を行つたもの(検乙第六号証)

また検乙第一号証は、粘膜像法により腹臥位で胃の前壁の状態を撮影したものであり、検乙第四号証は、二重造影像法により、シャッキーの体位すなわちベッドが半立位でかつ被撮影者(白木)の左半身を四五度ほど起こした状態で、胃の上半部すなわち食道から窮隆部及び小彎の一部までの後壁部分を二曝射分割撮影したものである。

なお、右各レントゲン透視及び撮影の際、白木が摂取したバリウム量は、粘膜像法の場合が充盈像法の場合の五分の一ないし六分の一、二重造影像法の場合が充盈像法の場合の約二分の一の量であつた。

3  田中學医師は、右のような方法でレントゲン透視及び撮影を行つたが、被告三谷からの指示において指摘のあつた胃角部の潰瘍等の病変その他の異常所見を認めることができなかつたため、胃に異常なしとの所見を被告三谷に報告した。田中學医師の報告を受けた被告三谷は、田中學医師の所見を尊重しつつ、念のため、自らも同医師の撮影した右2の(一)ないし(三)のレントゲンフィルムを観察したうえで、精密検査の結果として、特に異常なし、ほぼ正常との判断を下し、従来どおり慢性胃炎と診断して、白木に食事療法の指導や漢方薬の投与などを行つた。

以上のとおり認められる。なおこの点について、原告はその本人尋問において、右精密検査当日帰宅した白木から、被告三谷が精密検査の結果について単なる胃潰瘍で心配ない旨話していたと聞いた旨供述し、この供述は被告三谷が精密検査で白木の胃部に潰瘍等を発見していないという右認定事実と抵触するものであるが、右供述は再伝聞であつて証拠力に乏しいうえに、前記乙第一号証によつて認められる被告三谷が精密検査の結果から胃潰瘍と診断した趣旨の記載がまつたくない事実に徴すると、白木が原告に右のような趣旨のことをかりに述べたとしても、医学用語に通じない白木が胃炎と胃潰瘍を混同して原告に伝えたもののように窺うことができるから、原告本人の右供述部分は右認定を左右するほどのものではなく、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

四被告病院における精密検査後の経過

請求原因5のうち、昭和五六年四月三日に白木が被告病院に来院した際、疲労感や筋肉痛を訴え、検査の結果、被告三谷が白木に多少貧血気味のほか特に異常は認められない旨を告げた事実、同年五月二日、白木が腰痛及び肩関節痛を訴え、腰部レントゲン撮影を行つたところ、軽度の腰椎の変形がみられたため、被告三谷において腰痛が右腰椎の変形によるものとの診断を下した事実、その後も白木の腰痛が持続していた事実、同年六月二六日の診察の際白木が全身倦怠感を訴えた事実、同年七月一一日に白木が下腹部痛を訴えて被告病院に来院した事実、同月一七日の診察の際白木が下腹部痛の増強や嘔気を訴えた事実、並びに請求原因6のうち白木が昭和五六年一〇月一三日に胃癌によつて死亡した事実は、当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、次の各事実を認めることができる。

1  昭和五六年一月九日、同病院勤務の田中祥夫医師に対し、白木は、夕方になると疲れるが翌日には疲れは取れていると自覚症状を話したが、同日の診察の結果は、脈が少し弱いことと、血液検査でコリンエステラーゼの値が少し低く肝臓の働きの低下が窺えること及び赤血球の個数が四〇〇万個と正常域の最下限にあつたことが判明したほかは特に異常がなかつたため、田中祥夫医師は、白木の前記疲れもその年秋の学会の準備に起因するものと考え、従前どおりの生薬(柴胡、半夏、黄岑、生姜、甘草、人参、葛根、芍薬、桂枝、大棗)を調合した漢方薬の処方箋を白木に与えた。また同年一月二三日には右と同じ生薬の処方箋を被告病院から白木に投与した。

2  同年二月六日、田中祥夫医師は、白木から、右肩関節の痛みの訴えを受け、また脈搏が少なく、やや赤みを帯びた舌苔が少し認められるという症状を考慮して、従前どおりの生薬の処方箋を与えた。同時に、同日実施した脳波、心電図、採血等の検査の結果、赤血球が三八四万個とやや減少しており、貧血状態であることが判明したが、それ以外に特徴的な症状は認められなかつた。

また、同月二〇日、被告三谷は、診察の結果、白木に自覚症状はないが腹直筋に緊張状態が認められたことから、その緊張を取るため、葛根湯をやめて桂枝加芍薬とブドウ糖とを加えた小建中湯という調合薬の処方箋を白木に与えた。

3  同年三月六日に被告三谷が白木を診察したところ、二月二〇日と同様の腹直筋の緊張状態が認められ、かつ血液検査の結果、赤血球が三八八万個とやはり少なく、貧血状態にあることも認められたため、被告三谷は白木に従前どおりの処方箋を与えた。

同月二〇日には、白木から被告病院に電話で漢方薬の処方の依頼があり、別段変わつた愁訴もなかつたため、被告病院では、従前どおりの処方箋を投与した。

4  同年四月三日に被告三谷が白木を診察したところ、白木は疲労感及び肩凝りすなわち項背の筋肉痛を訴えたので、被告三谷は、葛根を増量した漢方薬の処方箋を投与し、さらに同日血液検査を行つたが、赤血球の数は三九八万個と従前と同様減少気味であつた。

5  同年五月二日に田中祥夫医師が白木を診察し、腰部を打診すると白木が痛みを訴えたので、白木が当時四〇歳であつたことも併せて、骨の老化による変形が生じているのではないかと考え、腰部レントゲン撮影を行つた。その結果白木の第五腰椎に上部の角が磨耗し一部が増殖しているという変形が認められたため、田中祥夫医師は、老化による軽度骨吸収変形が生じ、それが腰痛の原因となっているものと診断し、白木に対して背中を曲げていると年をとるにつれてますます腰の骨が出てくるので普段から姿勢を正すように注意し、腰痛に効く五積散を加えた処方箋を白木に投与した。また同日、白木から採血した血液中の赤血球は、三七六万個と一層減少し、貧血気味であつた。

同月一五日に被告病院において白木に従前どおりの処方箋投与を行つた後、同月二九日に被告三谷が白木を診察したところ、白木が腰痛がなお持続し、気分は良好であるがややいらいら感が強くなつている旨訴えたため、被告三谷は、前記五積散と、いらいら感を取り除く効果のある山梔子を増量した処方箋を白木に与えた。

6  その後、同年六月一二日に白木から被告病院に電話があり、気分は良好であるが腰痛が続いている旨の訴えがあつたため、被告病院では従前どおりの処方箋を投与した。

さらに同月二六日に被告三谷が白木を診察したところ、白木は全身に倦怠感を訴え、かつその際の視診によつて皮膚に浮腫状のものが認められた。被告三谷は、五月二日に採血して検査した結果も貧血が持続していることを示していたので、今回血液検査して、なお貧血状態が続いているようであれば、胃癌、胃潰瘍、萎縮性胃炎等の胃の疾患の可能性も想定されるため、胃の再度の精密検査が必要と考え、その旨申し送り事項としてカルテに記載した。ところが、血液検査の結果は、赤血球数四一四万個と貧血状態が著しく改善されていることを示したため、被告三谷は胃の再度の精密検査は不必要と考えた。

7  同年七月一〇日に被告三谷が白木を診察したところ、腹部に緊満状態が認められたものの、疲労感は改善されており、かつ前回の検査の結果、貧血も改善されていたので、被告三谷は、その旨白木に伝えて、酒もたばこもかまわないし、大学の勤務に行つても差し支えない旨話し、いらいら感の改善のために弁麻を加え、かつ五積散を加えた処方を投与した。

ところが、その翌日である同月一一日に白木が来院し、田中祥夫医師に、前夜左下腹部に激烈な痛みがあり、当一一日は右下腹部が痛む旨訴えたので、田中祥夫医師が点滴で鎮痛剤等を投与したところ、被告三谷の下腹部痛は一応治まつた。そして、田中祥夫医師が白木の腹部を触診したところ、数箇所に抵抗を感じた。

同月一七日、被告三谷が白木を診察した際、白木は、下腹部痛がなお継続していて特に運動や食事の際に強くなること、軽い吐気もあることを訴え、被告三谷が触診したところ、臍から下に膨満して抵抗が感じられた。そこで、被告三谷は、白木の胃のレントゲン撮影を行おうとしたが、白木が食事後であつたため撮影することができず、次回の様子次第で胃の再検査が必要である旨をカルテに申し送り事項として記載したが、それ以降、白木は被告病院に来院しなかつた。

8  白木は、同年七月二二日に大阪市北区梅田二丁目五番に所在する健康管理センター桜橋武田診療所で診察を受けて、同診療所の武田医師に胸部の鈍痛を訴えた。武田医師は、同日、胸部レントゲン撮影や血沈検査を行つたが、胸痛の愁訴では胃の上腹部の痛みも考えられるため、同月二三日、白木の胆嚢と胃のレントゲン撮影を行つて、ボールマン三型すなわち隆起状の潰瘍とその辺囲にやや浸潤が認められる型の胃癌であると診断した。さらに同月二八日に同診療所の林医師が武田医師の指示を受けて白木に対して胃カメラによる検査を実施したところ、胃の前壁部に隆起は顕著でないものの粘膜下にかなり広範囲にわたつて癌の浸潤が窺え、かつ、その際生検として白木の胃部の八箇所の細胞を採取して日本赤十字病院に送つて病理検査を依頼したところ、そのうち五個の細胞が管腺癌細胞であり、残りの細胞のうちの一個が癌細胞と正常細胞との中間の細胞であることが判明したため、武田医師は、白木の胃癌はボールマン四型すなわち瀰漫性の拡がりを持つ浸潤性の胃癌であると、改めて診断した。武田医師は、白木には胃潰瘍であると告げて手術を受けることを勧めたが、白木が頑強にこれを拒絶したため、同月三一日、電話で原告と白木の兄である奥地を同診療所に呼んで白木の病状及び検査結果等を説明し、末期的癌で手遅れであるが、すぐ手術しないと一か月もしないうちに胃の幽門部が狭窄して食事を食べられなくなるから、何とか白木に対して手術を受けるよう説得してほしい旨依頼した。その結果、白木は同年八月三日に住友病院に入院して同月六日に手術を受けたが、開腹すると、既に癌は鎖骨、肛門のダグラス窩ほか全身に転移していたので、住友病院においては、原発巣である胃の五分の四と肝臓及び膵臓の各一部を切除したにとどめて手術を終え、その後は抗癌剤と丸山ワクチンによる治療を続けた。しかし、同年一〇月一三日、白木は、胃癌のため死亡した。

以上のとおり認められる。これに対して、原告は、その本人尋問において、白木は昭和五六年七月一三日もしくは同月一四日にも被告病院に赴いて診察を受けた旨供述する部分があるが、前記乙第二号証のカルテには右該当日に白木が被告病院で受診したことを示す記載のないことが明らかであり、かつ右カルテに記載漏れがあつたことを認めるに足る証拠もなく、また、原告の供述中には時的経過の点で若干曖昧なところがあることが認められるから、原告の右供述部分は措信しがたく、ほかに右認定を覆すに足る証拠はない。

五被告病院における精密検査についての検討

1  まず原告は、白木においては被告三谷に対し、特に胃の精密検査の必要があることを指摘するとともに胃の異常部位を特定して明らかにしている近畿中央病院の診断結果を示して胃の精密検査を依頼したのであるから、被告三谷としては、白木の胃部をあらゆる角度から最低限二十数枚は撮影し、特に病変ありと特定された箇所については細分化した撮影を十分に行うべきであり、かつ内視鏡、胃カメラ及び場合によつては細胞検査まで実施すべきものであり、これが一般の医師として負うごく普通の義務であるにもかかわらず、被告三谷が採つた方法は、スクリーニングという集団検診の場合に実施する極めて大雑把なレントゲン撮影のみであり、しかも右レントゲン撮影をアルバイトの技師が行うという杜撰なものであつた旨主張する。

(一)  〈証拠〉によると、近畿中央病院における白木の胃の検査結果として具体的に異常所見の認められる部位が記載されているレントゲン検査所見(甲第五号証)は、被告病院における精密検査当時、被告三谷のもとに提出されておらず、かつ白木に関する被告病院のカルテ(乙第一号証)にも添付されていないが、白木は、右精密検査当日、近畿中央病院の胃X線集団検診所見を被告病院に持参しており、それには、白木の胃のレントゲン撮影を二重造影像法により背臥位の体位で行つた旨の記載のほか、胃角部に何らかの病変が認められることが図示されており(もつとも右図示は、本件記録の乙第一号証添付の胃X線集団検診所見ではごく薄く、かすかに記載されていることが認められる程度である。)、そして、被告三谷は、田中學医師に白木の胃のレントゲン透視を依頼する際、透視依頼診断用紙に、昭和五五年一〇月二〇日の胃集団検診で胃角部にニッシェ(潰瘍)が認められ、精検が必要であるという趣旨の申し送り事項を記載したことが認められ、右認定に反する証拠はない。右認定事実に徴すると、白木は近畿中央病院におけるレントゲン検査所見を被告病院に持参しなかつたものの、白木から胃の精密検査の依頼を受けた被告三谷は、白木の話及び白木が持参した前記胃X線集団検診所見の記載から、近畿中央病院で発見された白木の胃の異常部位を認識していたとまではいえる。

(二)  そこで、被告病院での精密検査において撮影されたレントゲンフィルムの枚数及び撮影部位その他撮影方法の妥当性について検討すると、〈証拠〉によれば、武田医師は昭和五六年一二月五日の原告による事情聴取の際、被告病院の白木に対するレントゲン撮影はスクリーンという異常のある者とない者を大雑把にふるい分ける撮影方法である旨述べたことが認められ、また前記甲第六号証によると、武田診療所では白木の胃の検査に当たつて二五枚のレントゲン撮影を行つたことが認められ(これらの認定に反する証拠はない。)、右認定事実はいずれも原告の主張に沿つたものといえる。しかし武田医師は、当裁判所の証人尋問においては、被告病院での精密検査におけるレントゲン撮影の方法は、スクリーンよりは丁寧であり、また武田診療所でのレントゲン撮影は撮影枚数がどちらかといえば多すぎる旨証言しており、この証言に徴すると、前記認定事実から直ちに本件レントゲン撮影の方法等が不当なものであつたということはできない。

かえつて、〈証拠〉を総合すると、昭和六〇年の時点では、かなり多くのレントゲン撮影を行つても、いわゆる保険診療報酬支払の対象に含まれるものと認められるようになつたが、被告病院で白木に対してレントゲン撮影を行つた昭和五五年当時は、六、七枚以上レントゲン撮影をした場合には超過分はフィルム代しか保険診療報酬の支払が認められないというかなり厳しい保険診療上の制約があつたこと、また日常の多忙な診察の中で一人一人の患者に長時間を費すことはできず、白木に対するレントゲン撮影当日も、被告病院では他に数名ないし一〇名のレントゲン撮影予約があつたことが認められ(これに反する証拠はない。)、かような保険診療上ないし診療時間上の現実の制約を過大視することができないことはいうまでもないものの、具体的医療行為における診療方法の不当性の点に関する医師の責任の存否を判断するに当たつて右制約をまつたく無視することはできないというべきである。そして、前記三2掲記の認定事実に証人田中學の証言を総合すると、被告病院で放射線診断専門医として一〇年の勤務歴を持つ田中學は、右制約の中で、胃の精密検査の依頼があつた場合には、レントゲン透視を行いつつ胃の各部位を漏れなく撮影し、そのうえで、もし問題の部分があらかじめ判明しているときは特に当該部分を入念に撮影するという方針で臨み、白木の場合にもバリウムの摂取量、被検者の体位等を変化させながら、胃の前壁、後壁、上半部等を漏れなく撮影対象内に納め、そのうえで透視診断依頼により被告三谷から指摘のあつた胃角部について五枚六曝射のレントゲンフィルム撮影を行つたことが認められるから、その撮影方法、撮影部位等にかんがみると、本件レントゲン撮影が原告主張のように杜撰かつ不十分なものであつたということはできない。

(三)  次に被告三谷が精密検査において白木に対して胃カメラや細胞検査を実施しなかつた点について検討すると、武田医師は、前記甲第二号証によれば、昭和五六年一二月五日に原告が武田医師に事情を聴いた際には、レントゲン撮影で潰瘍状の病変が発見されたときは、一見良性潰瘍と考えられるときでも胃カメラのみならず細胞検査(生検)まで実施するのが通常である旨話したことが認められる(これを覆すに足る証拠はない。)のに対し、当裁判所の証人尋問においては、武田医師は、レントゲン撮影で発見された病変が良性潰瘍であることが明らかなときは胃カメラや細胞検査は行わない旨証言しており、前記事情聴取の際に原告に述べたことと微妙にニュアンスを異にしているが、いずれもレントゲン撮影によつて撮れたフィルムの読影が精密検査の第一段階であつて、その結果に基づいて、さらに胃カメラや細胞検査等を実施するか否かを判断するという点では、武田医師の述べるところは一貫している。そして、〈証拠〉を総合すると、被告病院での精密検査当時、被告病院においては、胃カメラ、細胞検査等のより詳細な検査が必要と判断したときは適宜他の病院に転送していたこと、白木については、撮影したレントゲンフィルム読影の結果、田中學医師が異常なしという報告を行い、それを受けた被告三谷が臨床症状とレントゲン所見等を勘案して胃カメラ等の検査は不必要との判断を下したことが認められ、被告三谷本人尋問の結果中、被告病院でも時折田中學医師が胃カメラ検査を行つていた旨の供述は、証人田中學の証言に照らしてにわかに措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠はなく、右認定事実に徴すると、被告三谷は、白木に関して、田中學医師及び被告三谷によるレントゲンフィルム読影の結果まつたく異常を発見することができなかつたため、それ以上、胃カメラないし細胞検査を行う必要を認めず、これらの検証を実施するための他の病院への転送を指示しなかつたといえる。このことと、前記武田証言等も合わせ考えると、胃カメラ等による検査の実施の要否の判断はレントゲンフィルムを適切に読影することにかかるものであり、胃の精密検査を行う医師としては、まずレントゲンフィルムを適切に読解して病変の有無を発見し、病変があると疑われるときはさらに胃カメラ等のより精密な検査を実施すべき一体として不可分の、かつ全体として一個の注意義務を負担しているということができるから、以下、まず被告病院で精密検査した際撮影した白木のレントゲンフィルムについての田中學医師及び被告三谷の読解の当否から検討することとする。

2  〈証拠〉によると、昭和五六年一二月六日に原告が武田医師に事情を聴いた際、武田医師は、原告に対し、原告が持参した被告病院撮影の白木のレントゲンフィルムを読影した結果、右レントゲンフィルム中に癌の病変を認めることができた旨述べたことまでは認められるが、武田医師が具体的にどのレントゲンフィルム(写真)のどの部分にどのような癌の病変を認めたのかは、右甲号証では明らかではない。

そこでさらに、前記検乙第一ないし第七号証のうち、原告が別紙説明書一ないし三において指摘する部分について検討する。

まず、前記検乙第三号証のレントゲン写真には、胃角より少し下の部分に白い球状の斑点が写つており、その右方に白い斑点に向けて集中するように数本の細いひだが走つており、一見、潰瘍とそれに伴う周辺粘膜のひきつれが生じているかのように見える。そして同様の白い斑点は、近畿中央病院で撮影したレントゲン写真であることについて当事者間に争いのない検甲第一号証の三の下側の写真にも見出すことができ、また証人田中學の証言により、前記検甲第一号証の三の下側の写真は二重造影像法で背臥位の姿勢の被検査者を撮影したものと認められるところ、これらは前記乙第一号証添付の胃X線集団検診所見の撮影方法体位と一致すること及び同所見に図示された胃部と検甲第一号証の三の下側の写真の胃部とが同一形であることから、近畿中央病院の放射線科担当者は、検甲第一号証の三の下側のレントゲン写真中央部の白色斑点を潰瘍と考え、胃X線集団検診所見で病変の疑いありと指摘したものと推認することができる。

これに対して、証人田中學及び被告三谷は、右検乙第三号証のレントゲン写真に見える白色球状斑点はバリウムが偶然円形の小塊になつたものであり、その根拠は、かりにこれが潰瘍による窪みであるとすると、かなり深い窪みであるため他のフィルムにも同様のバリウム斑点が見出せるはずであるのに、同一部位を撮影した検乙第二、第五号証のレントゲン写真には白い斑点がまつたく認められず、かつ、球状の斑点が不整な形であれば病変の可能性もあるが、右斑点の特に上半部はほとんど正円に近い、ということであり、また右斑点に向けて数本走つているように見えるひだについても、小腸の粘膜の影が胃と重複して写つているにすぎず、白色斑点もひだも、いずれもレントゲン透視の際にしばしば見られるものである旨を供述する。

これに対し、武田医師は、当裁判所の証人尋問において、前記検乙第三号証のレントゲン写真の白色球状斑点について、写真の焼付けが強すぎて周辺状況が把握しにくいため明確な判断が困難である旨の留保を付しながらも、潰瘍か偶然バリウムが溜つたものかのどちらかといえば潰瘍である旨証言しており、かつ、その証言によると、武田医師は、内科一般の中でも消化器を専門分野としていて、胃のレントゲンフィルムの読影には習熟していることが認められるから、かりに前記白色球状斑点が被告三谷らが供述するようにレントゲン透視の際しばしば見られるバリウムの小塊であるとすれば、それを武田医師が潰瘍と見誤ることがあるかは疑問といわざるを得ず、同様の疑問は前記検甲第一号証の三のレントゲン写真に見られる白色斑点に関する近畿中央病院放射線科の所見に対する証人田中學の証言(やはりバリウムの塊が写つているにすぎない旨証言している。)にも当てはまるものである。

また、前記検乙第七号証及び証人武田の証言によると、検乙第七号証のレントゲン写真中、胃角のわずか上の小彎部に潰瘍等のときに生じるくびれが存在することが認められ(これに反する証拠はない。)、このことは、被告病院での精密検査当時白木の胃角部に潰瘍が存在したことを推認させるものである。

なお証人田中學及び被告三谷が検乙第三号証のレントゲン写真に見える白色球状斑点が偶然形成されたバリウムの小塊であつて潰瘍のくぼみにバリウムが溜つたものでないことの根拠として検乙第三号証の写真と同一機会に撮影された他のレントゲン写真には同様の球状斑点が写つていないことをあげていることは前記のとおりであり、かつ右両名の供述に証人武田の証言及び弁論の全趣旨を総合すると、レントゲンフィルムの読影に際しては、一枚のみで直ちに病変があるかどうかの判断を下すべきものではなく、数枚のレントゲンフィルムを比較対照し総合的に検討したうえで結論を出すべきものであることが認められるから、田中學医師及び被告三谷の前記球状斑点に関する判断を誤りであると断定することはもとよりできないが、近畿中央病院において病変発見の指摘のあつたのと同一の撮影方法及び体位で撮影したレントゲン写真の一枚の中の、しかも近畿中央病院から病変の指摘のあつた箇所に潰瘍状のバリウム斑とも疑える影像が現われていたのであるから、被告三谷としては、直ちに潰瘍の可能性を否定することなく、さらに被告病院または他の病院で胃カメラや細胞検査等の方法による詳しい検査を行つたうえで最終的診断を下すことが、白木から依頼を受けた精密検査の趣旨にかなうものであつたということができる。

以上の諸事情を総合すると、被告三谷は、白木の胃のレントゲン撮影の結果、そのフィルムの一枚の近畿中央病院から指摘があつたのと同じ部位に潰瘍であることを疑わせる影像が認められたのであり、客観的には、それが潰瘍か否かは専門の医師の間でも判断を異にする微妙なものであつたことを否定できないのであるから、被告三谷は、さらに確実を期すために、胃カメラ検査や細胞検査まで実施し、被告病院でこれを実施できないときは、右検査設備を有する他の病院に白木を転送して検査を受けさせるべきであつたのに、前記球状斑点を単なるバリウムの小塊であつて潰瘍性のバリウム斑ではないと潰瘍の可能性をまつたく否定して胃カメラ等によるさらに詳しい検査を実施しなかつた点において、被告三谷には、断定することはできないまでも、過失があつたのではないかという疑いが残るといわざるを得ない。

なお、さらに念のため、前記検乙第一ないし第七号証中の、他の原告が問題点として指摘する箇所について検討すると、まず、原告は、検乙第二号証のレントゲン写真中、胃角部に不自然な陰影があり、また検乙第三号証のレントゲン写真中、大彎側の黒く太い模様も専門的にみて若干問題がある旨指摘するが、これらが胃癌ないし胃潰瘍の所見とどのような関連を有するのかを明らかにする証拠はない。また原告は、検乙第七号証の写真中、胃の小彎部の曲り具合があまりにも直線的で固い感じがする旨指摘し、〈証拠〉によると、胃癌あるいは胃潰瘍が出来ると組織が硬直化して柔軟性を失うため、胃の外部の輪郭が硬直化することが認められる(これに反する証拠はない。)が、証人田中學の証言によると、立位の状態で腹背方向にレントゲン撮影を行つたところ、白木の場合は胃が斜めにねじれて写り、胃角部が角張つた状態に見える(検乙第七号証)ため、白木の左半身を浮かせ、斜位の状態にして胃の腹背方向の正面像を捉えた(検乙第六号証)ことが認められるから、検乙第七号証のレントゲン写真に見える小彎の直線的影像は、胃の撮影角度によつてたまたま現われたもので、胃癌その他の病変を窺わせるものではないといえる。したがつて、結局、前記球状斑点以外の点は、問題となるところはないということができる。

3  そこで、次に、被告病院での精密検査に関して、かりに被告三谷に過失があるとした場合、その過失行為と白木の死亡との間に因果関係が存在するかという点について検討する。

前記三8掲記の認定事実に〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

白木が罹患した胃癌は、ボールマン四型に属するスキルスと呼ばれる種類の癌で、粘膜下に広範に瀰漫性に浸潤し、その中に原発巣と推定される潰瘍性病変が一箇所あるという形態の癌である。スキルスの場合、胃の粘膜下を浸潤するため、胃壁の硬化ないし突つ張りによる胃の外部の輪郭の硬直化が最初に認められる顕著な変化であつて、粘膜面には原発巣のほかにはポリープないし潰瘍は見られず、初期のうちは粘膜面上にもごくわずかな色調の変化の他は顕著な特徴が認められないため、胃カメラによる検査でも原発巣の潰瘍部分その他の早期発見は困難であり、かつ細胞検査を行うとしても粘膜面上の顕著な病変が初期のうちは認められないため、組織採取部分の選別特定自体が困難である。そして、スキルスは通常の癌よりも進行速度が速く、発病から約一年程度で蔓延するが、その進行速度には個人差があり、年齢が若ければ進行がより速いという傾向がある。また、本件で、昭和五六年七月二八日に武田診療所の林医師が白木の胃を胃カメラ等で検査した結果、白木の胃癌(スキルス)は、前壁前庭部を原発巣とするものであると診断した。

以上のとおり認められ、これを覆すに足る証拠はない。

そして右認定事実に徴すると、白木の胃癌の原発巣である潰瘍性病変は前壁前庭部に認められたのであり、かつスキルスは、原発巣のほかは潰瘍状の病変を生じさせにくいものであるから、前記検乙第三号証に認められる後壁胃角部の白色球状斑点がかりに潰瘍によるバリウム斑であつたとしても、その潰瘍が白木の死因となつたスキルスに関連した癌性潰瘍であつたとみるのは極めて困難である。また、スキルスの進行速度には個人差があつて、通常、発病から蔓延まで一年程度であるが、若年者の方が進行速度が速いという傾向があり、〈証拠〉によると、白木は死亡時に四〇歳の壮年であつたことから、そのスキルスの進行もかなり速かつたものと推認することができるところ昭和五五年一二月三日の被告病院での精密検査当時において、白木の胃部でスキルスが発生していたかどうか、ないし発生していた場合のその進行状況等は、本件各証拠を総合してもこれを認めることはできない。さらに、スキルスが、胃の粘膜下に広範囲にわたつて浸潤するものの、粘膜表面に原発巣のほかは潰瘍ないしポリープを生じにくいため胃カメラによる早期発見が困難であるという性質のものであることに加えて、被告病院におけるレントゲン撮影で病変の疑いが認められるといえるのは後壁胃角部であつて、それに基づいて胃カメラ検査が行われて一応胃の内部全般が検査されるとしても、重点を置かれるのは胃角部であることを合わせ考えると、かりに右レントゲン撮影結果に基づいて胃カメラ検査が実施されたとしても、白木の死因となつたスキルスを発見し得たかどうかは極めて疑問といわざるを得ない。また、細胞検査についても、前記のとおり組織採取部分の選別特定自体がスキルスの場合には困難であることを考慮すると、本件でも、細胞検査実施による白木の胃癌発見の可能性は極めて低かつたといえる。

以上の諸事情を総合すると、他に特段の事情がない限り、昭和五五年一二月三日の時点で胃カメラないし細胞検査を実施していれば白木の胃癌を発見することができたと断定することは極めて困難というほかなく、結局、被告三谷にレントゲン撮影結果に基づいてさらに胃カメラ等による検査を行うべきであつたのにこれを行わなかつたという過失があるといえるとしても、これと胃癌による白木の死亡との間の相当因果関係については、証明がないものといわざるを得ない。

六被告病院での精密検査後の診療経過についての検討

1 被告病院での精密検査後の被告病院における白木の診療経過は前記四1ないし7のとおりであるが、この経過は、要するに、血液検査によつて判明した赤血球の個数は、昭和五六年一月九日で四〇〇万個、同年二月六日で三八四万個、同年三月六日で三八八万個、同年四月三日で三九八万個、同年五月二日で三七六万個と、継続して被告三谷がその本人尋問において許容範囲と供述した四〇〇万個以下の数値を示していたのであつて明らかに貧血状態が持続しており、また同年五月二日に、白木が打診による腰痛を訴えたため腰部レントゲン撮影を実施したところ、第五腰椎に軽度の変形が認められ、その後も腰痛は継続し、さらに同年七月一〇日夜、白木は猛烈な下腹部痛に襲われ、その後も下腹部痛が継続していた、というものである。

2 ところで、貧血が胃癌、胃潰瘍等胃の疾患の徴候であつて、貧血状態が継続するようであれば、胃の疾患を疑つて精密検査を実施すべきことは、被告三谷自身その本人尋問において供述しているところであるが、それにもかかわらず、白木の右のような貧血状態が続く中で、同年六月二六日まで被告三谷が白木の胃の再検査の必要性を認めなかつた理由は、右本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、(一) 白木の全体的な症状が従前と変わりなく、かつ胃の自覚症状もなかつたこと、(二) 胃の精密検査は前回異常が認められなければ、レントゲン検査の被爆量の問題もあつてある程度(一年位)時間的間隔を置くことが通常一般的に考えられていたことによるものと認められ(これに反する証拠はない。)、さらに(三) 前記二のとおり白木がもともと初診時から貧血体質であつたことも、再検査をしなかつた理由の一つとして推認することができる。しかし、(一) 〈証拠〉によると、胃癌が既に相当進行しているときは格別、自覚症状によつて胃癌が判明することはないことが認められ(これに反する証拠はない。)、(二) 〈証拠〉によると、個々具体的症例においては、前回の胃の精密検査から間がないときでも再検査を実施すべき場合もあり、本件でも、前記四6のとおり前記精密検査時から約半年後の昭和五六年六月二六日の時点で、被告三谷は再検査の必要性を意識しているのであり、(三) さらに前記二の認定事実によると、白木の慢性胃炎と診断されるような貧血状態は、昭和五四年一一月時点では一応軽快し、昭和五五年二月二三日から同年九月三日にかけて血液中の赤血球数は少なくとも四一〇万個以上あつて、白木の貧血状態はいつたんは改善されていたにもかかわらず、同年一二月三日の精密検査時の血液検査における赤血球数は三九八万個と再び低下し、これ以後、昭和五六年六月まで赤血球数四〇〇万個以下の貧血状態が続いていたのであるから、被告三谷としては、右貧血が白木の従前の貧血体質とは別個の原因によるものと疑い得る余地があつたといえる。以上の諸事情に、前記五1(一)認定のとおり昭和五五年一〇月の近畿中央病院における総合検診の際、白木が胃角に潰瘍ありとの診断を受け、かつ被告三谷も右検査結果を認識していたことを合わせ考えると、被告三谷としては、昭和五六年六月よりも早い時点で胃の疾患の可能性を考えて再度白木の胃の検査を実施すべきであつたといつてよいのではないかと解され、それにもかかわらず被告三谷が再検査の必要性を意識することなく、慢性疾患指導として漢方薬による対症療法を続けて来たことは、三谷の過失を疑う余地が十分にあるということができる。

3 なお念のため、前記六1の白木の腰痛及び下腹部痛について検討すると、これらの痛みは一時的なものでなく継続していたこと、白木の胃癌の発見された時期と右腰痛及び下腹部痛の発生時期との近接性、並びに白木の胃癌の特徴及び進行状況等を合わせ考えると、結果論的ではあるが、これらの痛みが、胃を原発巣とする癌が他の臓器や骨格にまで転移したことにより惹起された症状であつたことが疑えなくはない。また〈証拠〉によると、検乙第八号証は腹背方向に腰椎、骨盤の一部及び肋骨の一部を撮影したレントゲン写真であるが、その写真に写つた第五腰椎の右の部分に骨の増殖による石灰の沈着がみられること、検乙第九号証は腰椎の側面像を撮影したレントゲン写真であるが、その写真に写つた第五腰椎にやはり軽い変形がみられること、右骨の石灰化は全身的代謝疾患の一部として発生する場合と、骨疾患の一部として発生する場合があるが、癌細胞の骨転移から起こる可能性も診察の際に考慮に入れておく必要があること、以上の各事実を認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

そうすると、腰痛や下腹部痛という個々の症状それ自体は、いずれも胃の疾患と関連させて考えることが困難であるとしても、腰痛の原因となつているものと判断された前記第五腰椎の石灰化が癌の骨転移によつて惹起されている可能性を考慮すべきことは前記認定のとおりであるから、当時の白木の継続的貧血状態を合わせ考えるならば、担当医田中祥夫としては胃癌の骨転移を疑うことができたように窺い得るのであつて、被告三谷の昭和五五年一二月三日の精密検査以後の診療経過における過失(予見可能性)の強い疑いを補強する事情として理解することができる。

4  次に、原告は、昭和五五年一二月三日の精密検査時以降も白木が早期に胃癌と診断され、少なくとも慢性胃炎と断定されずにさらに再度の精密検査が実施されて胃癌が発見されていたならば、手術等の治療によつて白木は死の結果を免れ、またかりに予後が悪くても延命が可能であつた旨主張するので、以下、この点について検討する。

〈証拠〉によると、白木が罹患したスキルスという類型の癌は、リンパ腺転移を惹起する可能性が高く、原発巣の切除手術に一時的に成功してもその後再発しやすいという意味で予後が悪い場合が多く、五年生存率も一〇パーセント以下と他の類型の癌とくらべて極めて少ないことが認められ、これを覆すに足る証拠はない。そして右認定事実に徴すると、昭和五五年一二月三日の精密検査後、昭和五六年六月よりも早い時点で白木の胃の再検査が実施されて癌が発見され、その切除手術が行われたとしても、それによつて直ちに白木が死亡の結果を免れることができたと推認することはできないというべきである。

また、スキルスでも早期に発見されて切除手術を受けることができたならば患者にいくばくかの延命可能性が存在したことは、抽象的には肯定し得るとしても、〈証拠〉によると、昭和五六年七月二三日の胃癌発見時の所見等からさかのぼつて右胃癌の発生時期及び発生後の進行状況等を推認することは、症例ごとの差異が著しいため困難であることが認められ、その他本件各証拠を総合しても、後記の昭和五六年五月二日の時点以前について白木の胃癌の発生時期及びその進行状況等を明確には認めることができず、したがつて、被告三谷が昭和五六年五月二日より早い時点で白木の貧血状態から胃の疾患の可能性を考えて再検査を実施し、その結果胃癌が発見されて切除手術が行われたとしても、それによつてどれほどの延命効果があつたか自体が明らかでないといわざるを得ない。

なお、前記六8で検討したとおり、昭和五六年五月二日の時点では胃癌の骨転移を認め得る状況にあつたといえるが、前記甲第二号証によると骨転移の症状が現われているということは、既に癌細胞がリンパ腺中に入るなどして全身に転移していたことを推認し得るのであつて、たとえ胃癌が検査の結果発見され、切除手術が実施されたとしても、それによる延命効果はむしろ否定的に解さざるを得ないというほかない。

5 よつて、前記六2のとおり、被告三谷の過失が認められる余地があるとしても、その過失による再度の精密検査の不実施と白木の死亡ないし延命可能性喪失との間の相当因果関係については、いずれもこれを認めるに足りないというべきである。

七結論

以上の次第で、その余の主張について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官富田守勝 裁判官西井和徒 裁判長裁判官岨野悌介は転官につき署名押印することができない。裁判官富田守勝)

別紙説明書一〜四〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例